Vol.54_健全なガバナンス 〜企業理念がギゼンでもゼンゼンOKなワケ〜

昨年末、とある懇親会場にて、世界4大会計事務所の一つと言われる、KPMGのパートナーをなさっていた、というすごい経歴を持つ大学教授とお話をする機会を得ました。

ライバルだったアンダーセンがエンロン事件に巻き込まれて消滅していく経緯など、ぜんぜん違う世界のお話などを、大変わかりやすく、かつ面白くしていただきました。

偉い人とお話できてすっかり嬉しくなってしまったサワダは、お酒の勢いで会計に関する持論を展開(おいおい)。

嫌な顔ひとつせず、肯定的な態度で聞いてくださったその教授に、

「会社の継続的発展に必要ないちばん大切なことは何でしょう?」

と、さらに立場をわきまえず質問を重ねてみた、無謀な私。

すると

「そうですな〜・・・ それはなんといっても健全なガバナンスではないでしょうか。」

株式会社の本来的な所有者は「株主」です。

ですから株式会社は株主の総会における議決権行使ひとつで社長の首まで飛びかねない、ガバナンスに関してはなかなかシビアな仕組みを持つ団体。

・・のはずなんですが、大はくだんのエンロンや、上場廃止に追い込まれた東芝などの世界的企業から、

小は社長の遊興費から家族のガソリン代まで、経費の使いすぎで資本蓄積が進まず、事業も平行線からじょじょに下降し、いつのまにか調査会社の倒産情報にその名が刻まれてしまうような残念な中小企業まで・・・

せっかく仕組みがあっても、現実の世界では結局のところさっぱりガバナンスが効いてないのはどういうわけでしょうか??

上場企業の場合は、多くの株主は持ち株を「安く買って高く売る」ことで得られるキャピタルゲイン、もしくは一時的な高配当が目当てであることが多いと思います。

そういった流動的な株主は、「議決権の行使はめんどうだからしない」といういわゆる「物言わぬ株主」がほとんどでしょう。

そうなれば、「自分が株を持っている間だけ会社の業績が良ければOK」どころか「株価が高ければ」「配当が高ければ」「魅力的な株主特典があれば」「業績なんてどうでもいい」という株主が満ちあふれ、ガバナンスなんて効きようがないのです。

(かつての日本においては持ち合いによる安定株主が多少なりともガバナンスを効かせていた気がします)

逆に未上場の、売上数十億くらいまでの株式会社の多くは、株式の過半数を代表取締役が持つ、いわゆる「オーナー企業」(もちろん当社もです)。

「オレは良いけどお前はダメ」

そんなジャイアンみたいなオーナーである社長が、実質的に他の役員の生殺与奪を握っているのですから、やはりガバナンスなんて効きようがありません。

・・・といったことを瞬時に考えたサワダは、立場もわきまえずさらに食い下がります。

「健全なガバナンス、健全な企業統治というのはどうやって実現するものなのでしょうか?」

教授は嫌な顔ひとつせず、こう答えてくださいました。

「まずは、社外取締役の存在が大事です。

なぜならば、取締役会が身内だけだと、会社が抱える問題になかなか気づきにくいからです。

さらにいえば、社内の取締役がトップの意見に抗うことはなかなか難しいですからね。

ガバナンスがおかしくなる原因のほとんどはトップの暴走によるものですから。」

「なるほど〜 ありがとうございます。」

と自分にできる最大限の笑顔とお辞儀でその場を離れた私ですが、どうしても「スッキリ〜♫」

というわけにはいきませんでした。

教授が頭の中でイメージしている会社は、最低でも数万の社員を抱えているトップクラスの上場企業。

かたや私の頭の中にあるのは、自らや顧客企業のように、数名から最大でも100名ちょいの中小企業。

でもその違いがスッキリしない理由、というわけではありません。

たとえ会社の規模が違えど、会社の継続的発展にとって「健全な企業統治」が最重要であることにはかわりはないでしょう。

上場企業には社外取締役の選任が法律で義務化されています(非上場企業は義務ではありません)。

社外取締役は、その会社やグループ会社などと利害関係を持たない人物しか就任できない、などの制限があり、社内事情に関係なく客観的な意見を述べることができる人が求められます。

非上場企業であっても、社長をトップとする社内の取締役に対し、社外取締役が大所高所から意見を言っていただけるのは大変ありがたいことだと思います。

ですから社外取締役の存在は健全な企業統治にとって大切という、教授のお話はその通りだと思いました。

なのに。スッキリしないこの気分のもとは

1,その社外取締役が選任されるのはたいてい「社長のガバナンス」が効いた取締役会の場では?

2,もしそこが暴走するような素質がある社長と、その取り巻きで構成される取締役会だった場合、社外取締役にどんな人選をするのか?

という2点です。

つまりは「お手盛りのなんちゃって外部取締役になるんじゃないの?」という話です。

(上場企業の場合は、株主からの推薦という方法があり、教授はこっちを前提にお話くださったのかもしれません)

あともう1つ、これがいちばんのスッキリしないところ、それは

3,そもそも社外取締役をお願いできるくらいの余裕のある会社は限られているよな〜

という部分です。

たぶん、これをお読みの皆様の会社も社外取締役を迎えているところは少数派ではないでしょうか?

仮に、社外取締役を選任できる余裕があったとしても、社外取締役のもう1つの役割は「取締役会と株主の橋渡し役」ということですから、自分株主が社長のオーナー企業にとってはその妙味が薄いということにもなると思われます。

株主も社外取締役も役に立たない、そんな取締役会の健全なガバナンスは一体どうやって保っていったら良いのでしょうか?

タイトルにも書きましたが、サワダはそのガバナンスの維持は「企業理念」によって行うのが一番いいんじゃないかと思っています。

それもなかなかキレイごとの、建前感アリアリの、場合によってはギゼンととらわれかねないものが良いと思ってます

ただしそのギゼンはその企業の具体的行動に結びついている、というのが条件です。

たとえば「世界平和を守る」という理念は十分偽善的なほど立派ですが、一般の会社では具体的行動を取りにくいですよね。

これを掲げて、具体的行動につながるのは、宗教団体か、お笑い芸人のプロダクションか、民間の軍事会社ぐらいでしょう。

ではここからは、巨大企業の具体的事例をいくつかご紹介します。

「情報革命で人々を幸せに」

この偽善と取られかねない経営理念はソフトバンクグループのものです。

SBは理念の説明の中で「幸せ」を感動、と定義しています。

他社に先駆けての国内でのiPhoneの取扱を開始したり、傘下のPayPayで大量のキャッシュバックを行なうなど、多額の有利子負債の問題などは抱えていますが、少なくとも上記の理念を保つことで、悪い方向への暴走はおさえられていると思います。

「地球上で最もお客様を大切にする企業になること」

うわ、偽善ぽいですね〜

これはあのAmazonのものです。*

Amazonは、労働問題や独禁法違反、さらに地球温暖化への配慮の無さなど数々の問題を抱える企業です。

しかし理念を自覚することで、Amazonは少なくとも顧客に対しては奢ることなく、裏切ることなく、常に忠実なのではないかと思います。

Googleは行動規範の結びに、かつて非公式モットーであった言葉「邪悪になるな(don’t be evil)」を記しています。

「世界中の情報を整理し、世界中の人がアクセスできて使えるようにする」をミッションとするGoogleは世界中で使われるため、常にプライバシー侵害の問題を抱えていますし、租税回避や軍事利用への問題なども起こしています。

しかしこの偽善的な「邪悪になるな」のおかげで、「お前が言うな」的な世論からの厳しい指摘も比較的早めに受けやすく、なんとか暴走せずに踏みとどまれているような気がします。

ちなみにぐっとどころか、大海のしずくのように小さい規模になりますが、我がエースユナイテッドグループの企業理念は「未来に貢献」と、巨大企業に負けないくらい偽善的です。

事業部門はそれぞれ「エネルギー(ミカド電装商事)」「教育(ソシオス・イー・パートナーズ)」「コンサルティングで企業の(エースラボ)」未来に貢献することがそのミッションとなっています。

この理念は2017年に私が考えました。

当時社内でも「スケール感が合わない」「インチキ臭いからやめてほしい」とか、あんまり前向きな評価を得られませんでしたね。

しかし、この理念に込めた私の思いは、「ただ儲かりそう、という理由だけで新しい事業をはじめない」、ということだったのです。

なぜなら私は社長になってまもない40歳手前で、「儲かりそう」な仕事に手を出して失敗した経験があるからです。

「多角化が可能なHD体制を取りましたが、未来に貢献できる仕事しか選びません」

「なぜなら起業は失敗する確率が高いが、未来に貢献する仕事なら、きっとそんな事にならないよね」

という、教授のおっしゃっていた「健全なガバナンス」とその目的「企業のゴーイングコンサーン(企業の存続可能性)」を知ってか知らずかのものだったのです。

「善は人の為ならず」

これは「善をなしても人のためにならないからやめておけ」という意味ではなく、「善は人だけでなく、自分にもいいことがあるよ」という意味なのは皆さんご存知ですね。

人間も企業も「善かれと思って、知らない間に、悪をなす」ところがあると思います。

なぜなら「自分に相談しても、ダメと言われることはない。」からです。

しかしですね、自分で(Webやら印刷物で)宣言しちゃったことは、立派であればあるほど、それが偽善的であろうとなんだろうと、撤回が難しいと思います。

株主も、社外取締役からも「健全なガバナンス」を期待することが出来ないオーナー企業の皆様は企業防衛の観点からもぜひ、一見偽善とも思えるくらいの「立派な企業理念に自らをガバナンスしてもらう」というサワダ案を検討してみてください。

*Amazonは明確に「理念」とうたってはいませんがWebサイトで「私たちの DNA」と、むしろさらに深く踏み込んだ表現をしています。

☆偽善ぽいくらい立派な理念のいいところは、心からの善よりは社会的インパクトは少ないけど、押し売りになりにくく、実行することで(やらないのはダメね)必ず何らかの社会貢献になるし、何よりも自身の暴走を抑えることができるところです。さらに誰かから「偽善ですか?」と聞かれた場合も、杉良太郎さんがボランティア先での同様の取材に「売名だよ」と答えたことにならって「はい偽善ですよ!一応社会のお役に立ってますけど、それがなにか?」と開き直れるところじゃないかと思います。

☆当社も監査役こそ信頼申し上げている会社経営者の方にお願いしていて、毎月行われる役員会で忌憚のないご意見を頂いてはいますが、取締役会はガッチリ社内出身者で固められています。