エースラボ副所長
出張経理課長

布川昭文
Akifumi Fukawa

中央大学経済学部卒 (54歳)

仙台市で生まれる。
特にやりたいことも見いだせないまま大学卒業後、運よく上場建設会社に入社。支店総務部に配属され、主に支店経理を担当するも簿記の言葉も意味も分からず、はじめて作成した振替伝票はまちがいだらけで、カミナリを落とされることに…。
その後も小切手が合計金額が合わないと突き返され、再度訪問するなど、毎日叱られてばかりの日々…。
ようやく業務も慣れてきて、現場担当の経理事務も担当するなど色々と仕事も覚え楽しくなってきた時に、本社人事部へ異動辞令。だんだん景況が悪くなる中、社員のリストラ案の作成担当になり、給与削減のパターンを幾つもシミュレーションする日々が続く。

リストラ案の作成は休日出勤で実施。すっかりメンタル不調を起こしてしまい退職を決意。次の職も決まっていない状況で地元仙台へUターン後しばらくして入所した地元の会計事務所の顧問先、宮城大学の当時の学長の野田一夫先生が立ち上げたシンクタンクからお誘いを受けて転職。
公認会計士の教授のもと、企業コンサル、自治体への複式簿記導入などに取組み、キャッシュフロー経営、事業計画書立案、管理会計について学ぶ。惜しまれつつ事務所閉所後、上場の不動産デベロッパーに入社。
M&A先の東海地区の会社へ出向し、経理業務の立て直し及び監査法人の対応に従事、B/Sを理解することの大切さをあらためて認識。仙台に呼び戻されたその翌年、東日本大震災が発生、会社は同年民事再生法を申請、自身では癌が見つかり手術、と散々な時を過ごす。その後、趣味の合唱で知り合った方から誘いを受け、大手不動産管理会社へ転職、総務、経理、人事と全ての事務業務を部下1名とこなす日々。

休日出勤当たり前、の状況で何とか仕事をこなしていたが、追い打ちを掛けるように、新しく赴任してきたパワハラ上司のおかげで体調不良を起こす。慰留を受けるも退職を決意。その後はひとりで温泉に行ったり、焚火をしたりしながら体調回復に努める。暫しの休息後、大学の先輩が社長を務めるエースユナイテッドの理念に共感して参画を決意。

現在はエースラボ副所長として、クライアントによりそった経理指導を通じ、企業の成長に寄与できる喜びをかみしめている。