子供の頃の「ごっこ遊び」 楽しかったですね〜
私が幼少の頃はけっこうアメリカのヒーロー物をテレビ(白黒でした)でやっていて
憧れたのはスーパーマン(アニメではなく実写版です)
バスタオルをマント代わりに首に結びつけ 布団に向かってダイブすると「本当に空を飛んでいる」感覚が味わえました
長じて大学生になった頃はボルグ・マッケンローが全盛のテニスブーム
たまたまブームの前(コナーズ世代です)から少しテニスをかじっていた私は コーチのアルバイトに精を出していました
本人もすっかりその気で 真っ黒に日焼けして長髪にパーマなんかあてて 赤いポロシャツにチェーンまでして ピチピチの短パンはいて
自分の部屋がアニメ雑誌や「第三の新人」以降の純文学の古本であふれている 正真正銘のインドア派なのに ・・・あれ何だったんでしょう??
ホントに恥ずかしいですが きっと「イケてる大学生ごっこ」だったんだと思います
数年後 社会人になると営業部に配属
スーツにネクタイは当時の会社員の制服だからまあ良いとして ものごし態度まで完全にジャパニーズサラリーマン化
朝早くから夜遅くまで働き 仕事終わりには先輩・上司にごまをスリスリ タダ酒にありつきスナックでカラオケを熱唱 とすっかりその気になっていました
その後地元仙台に戻り父の跡を継いで社長になると 今度は社長っぽくなる努力を始めます
朝早くから夜遅くまで働くの相変わらずですが 高そうにみえるスーツに身を包み 吹けば飛ぶような体格なのになんとか威厳が出るように胸を反らせて貫禄を出し 無理に大声を出して笑ってみたり
読む本も純文学や好きな自然科学の本をしまい込み 帝王学とかリーダー論みたいのばかり読みふけるようになります
きっと周りからも相当無理をしているように見えたと思います
ま 実際無理をしてましたので そのまま順調にうつ病になってしまって 治るのに数年を要しました
このままではマズいと気がついた私がたどり着いたのが 「スカし戦法」
王道の社長ぽさを追求するのをヤメて すこしずらすことにしたのです
当時社長のスーツは王道ならカルバン・クラインとかが多かったと思いますが 私はちょっとひねってポール・スミス
日本の中小企業の社長の王道といえば社員から慕われる人情派ですが そこは追わずに 血も涙もない理論重視の非人間型に徹しました
こっちのほうが多少は本来の自分には近かったみたいで少しは楽になりました
が 言ったところで 一応は社員の幸せを考えているのに そこまで非情でもないのに 公衆の面前で経営の冷徹な論理を露悪的に語ったりして
今にして思えば 無理して「非情っぽくしている」「論理派ぽくしている」いる感はあったと思いますね
まあ しっくりはきてなかったわけです
で いろいろあって62歳の今はどんな感じかというと・・・
目立ったりするのは苦手なので見た目や服装は変えず 態度は丁寧に
心の自由が制限されるのが苦手なのでそういうシーンからはできるだけ距離を置く
子供の頃からある「頭の中の多動性から得られる複数かつ大胆な視点」と「失敗の多い注意欠如だからこその慎重・敏感」という2つの相反するキャラクターをなるだけ活かして できることをやって できないことは人にお願いする
どうやら やっと 形を気にして「っぽくする」ことから脱することができたようです
現状の私が世間で言うところの「会社のトップ」にふさわしいかどうかはわかりませんが まあまあうまく行っているし 気分も悪くないので 個人的には満足しています
もちろん社会に生きているわけですから 気ままに生きています というわけではなく きちんと(?)社会には適合して暮らしておりますよ
ただちょっと気を抜いて世間的な「らしさ」を求めすぎるとすぐ「っぽい」感じになってしまいますので そうならないための「ぽい活禁止」を自分に申し渡しているというわけなんです
「ぽい活」をやめてみると身の回りに「ぽい活」にいそしんでいる人が本当に多いなぁ と感じます
もちろん全員ではありません だいたい道行く人の1割くらいでしょうか?
ぽい活にいそしんでいる人を見るのは楽しいです
なんなら「大好物」と言っても良いでしょう
でも 自分の大好きな人には「っぽく」なってほしくないなぁと思います
最後に「まね」と「ぽい」の違いについて書いて 今月のこのコーナーを終わらせたいと思います
「学ぶ」という言葉は「まねぶ」からきているとも言われ 本能的なこと以外は親や先輩のやることを「まねる」ところから われわれは様々な能力を身に着けていくことにはまちがいはないでしょう
空海は日本語ではなく古代インドのサンスクリット語で真言(マントラ)を唱え 一時的に仏になりきることで修行が進むと考えていたと聞きますしね
また私が子供の頃にやっていたのは「スーパーマンのまね」であって「スーパーマンぽく」ではなかったと思います
それがだんだん怪しくなってきたのは「イケてる大学生ぽく」ふるまい出したあたりからで さらに社長になったころには100%「ぽく」ふるまっていましたね
私の大好きなものまね(本人はイミテーションアーティストと名乗っています)の清水ミチコさんは「カニカマ人生論」という本の中で「自分はカニカマのように限りなくカニに似せているけど本物ではない そこがポイント」というようなことを書いてます
「まね」と「ぽい」の違いは
「まね」は自分が本物でないことを認識していて
「ぽい」はそれが本物の自分と思ってしまっている
というところだと思います
☆ ぽい活をやめても勝手に「ぽい」はたまるところも「ポイ活」に似てますね
☆ ぽい活をやめたら気が楽になったのか 注意欠如による忘れ物やスケジュールを飛ばすこともだいぶ減ってきました ありがたいことです