このお話をする前に、自身に起きたゆううつな体験を話さなくてはなりません。
私は41歳のころから6年間、うつ病の治療をしていた体験があります(まさしく憂鬱)
最初、数回のパニック障害の発作から始まり、数ヶ月で「生きているのが辛い」、とか「この世から消えてしまいたい」という、うつ病ならではの精神状態まで追い込まれました。
地下鉄に乗るときは、うっかり飛び込んでしまわないようにベンチをがっしりつかんでホームにいなければならなかったり、、24時間365日、理由もなく胸がつぶれそうな「怖い」感情が抜けなかったり、2年ほど口の中がずーっと苦いとか・・・
頂いた薬を飲んでもなかなか寝付けず、せっかくウトウトしてきたのに、「自分がどこにいるのか、上下左右東西南北どちらを向いているのか、そもそも人間なのか、いやそもそも生き物なのかもわからない」という珍妙な悪夢を見て飛び起きてしまったり。
それでも立場上、会社は休めず、社員にも言えず、家族にもたくさん迷惑をかけてしまいました。
直接「これ」と行った原因があったわけではないのですが、発症前の数年は仕事のことでかなり無理をしていた時期。
もしかすると、様々な経営課題がある程度片付いてホッとしたときに、これまでの無理のツケを払うはめになったのかもしれません。
それでもお医者さんに薬をもらいながら治療を続け、こうやってなんとか戻ってこられたわけなんですけれど、飽きっぽい私が途中で投げ出さずに6年の治療を続けてこれたのにはわけがあります。
それは、どこかに自分自身を「おかしい」という目で見る、正気な自分がいたことです。
自宅リビングで当時まだ小学生だった愛娘二人にくっつかれて、セーラームーンだったかプリキュアだったかを観ながら、大型ヘッドホンで別の音楽を聞いている時。
会社でたまたま社員のスクリーンセーバーのうずまきを見て気持ち悪くなり、会社をよろけ出て近くの公園のベンチに座っている時。
「こんなの絶対正常じゃない!」と自分をおかしい(可怪しい)と思う気持ちと、
「これ俯瞰(ふかん)で見たら、けっこう面白いな・・」と自分をおかしい(可笑しい)と思う気持ち。
変なたとえかもしれませんが、「霧の中、速度計もコンパスも高度計もこわれている飛行機を操縦している、でも燃料計だけは正常で、まだたっぷり燃料は残っている。」
「霧が晴れれば、目視で必ず生還できる。だからとにかく水平を保つことに集中する。運悪く山にぶつかったらその時はその時。」
楽観的と言うかやけくそと言うか、なんというか、そんなような気持ちが、心のどこかにあったのだと思います。
もちろん、そうとすら思えない絶望的な気持ちになることも、ときおりありました。
それはどういう時かと言うと
「自分は病気と言われているが、本当はその論理は実にまっとうで、世間や身の回りのヒトがそれがわからないのがおかしい。そのおかげで自分は今苦しんでいる。」
と思ってしまっているときです。
どうです? 気持ち悪いでしょう?
自分も絶望ですけど、周りの人も絶望させてますよね(笑)。
どうしてこんな恥ずかしい、楽しくもないお話を延々と書いているのかといいますと、「このような体験から私はこんな風に思うようになった」、ということが言いたかったんです。
それは・・
A. 自分も他人も、考え方のどこかは必ず病んでいる。
B. なので、なにか意見を言ったり決断しなくてはいけない時、「自分(の計器)がぜったい正しい」、と思ってしまってしまうことは、結構危ない。
C.「自分(の計器)もどこかおかしいのでは?」と、どこかで客観視しているときは比較的安全。
こう考えることには意外と応用範囲が広くて・・
・自分と異なる思想信条が間違って見えている時は、一方的に向こうが悪いとばかり考えないで、一旦自分の心情や感情にもおかしいところがないか、疑ってみる。
・子供(社員でもいいです)がさっぱり言うことを聞かない時、子供を一方的に叱るだけでなく、一旦こちらの言ったことが子供におかしく聞こえていないかを考える。
・会社の業績が思い通りにならない時、情勢や社員の能力のせいにせず、一旦自分の思いや、その前提におかしいところがないかを疑ってみる。
自分が人生劇場の主人公であることはもちろんなんですが、どこかで自分がおかしい(可怪しい、可笑しいの両方)可能性を忘れない。
こんな風に粘り強く取り組んでいくと、ただ二枚目ぶったイマイチな売れない俳優から、ホラーもコメディも自在に演じられる本格俳優に成長できるように思います。
もしあの時、あんなふうに病気になっていなければ、あるいは病気になっても自分のおかしさに気づかなければ、こんな事に気づくこともなかったでしょうね。